慢性症状が中々治らない人がたまーにいます
でも、うちの店にはそういう人は少数派です。
たまに来ますけどね。
来ても、他じゃ良くならなかったけど、うちの店じゃ良くなる人とかです。
実はこのケースで一番やっかいなのが、本人が本質的には、良くなりたくないって思っている人なんです。
うちの店は特色上そういう方が来るケースは非常にまれです。
本質的に問題を解決しない選択肢を選ぶ人の特徴として
① 大変ネガティブである。また未来への不安視が大きい
② 問題への答えよりは、共感を求める
③ 何をやっても良くならないと嘆く
このへん、パッと思いつく特徴です。こういう人には
症状の説明や、問題の解決策などの話をすると相手が不機嫌になる傾向があります。
痛い所や困っている所を詳しく聞くのも、相手がだんだんストレスたまってくる傾向にあります。
まぁでもそれより何よりも大きな共通点のひとつ、それは心労。
それも解決の糸口が見えない心労があるんです。
本気出せばできない事なんてないと個人的には思うけど。
そうは言ってもやっぱり原因となっている事が、家族の問題や、仕事関係とか一筋縄ではいかぬものが多いです。
自分の問題じゃないって難しい。
例えば、長年にわたり身内の介護を一人で担い、心底消耗している方。
例えば、長年にわたりパワハラ等に合っていて、心底消耗している方。
例えば、どこの職場に移っても許せない人が現れてしまい、イライラが絶えない。
これらの方々は、すぐにコリや痛みを訴える体に戻ってしまいます。
何故だと思いますか?
それは今の自分にとって、そんな体が一番良いバランスだからです。
東洋医学の陰陽じゃないけども、身体は心と体のバランスが崩れると病気になります。
だから病気を防ぐには、ストレスにあわせて無意識にかばい合いをしたり、過緊張する事によって自分の身体を悪くして、わるい精神状態と釣り合わせようとするんですよ。
その方が痛みは起こるものの、本当に余計ストレスたまるものの
病気で倒れるとか入院するとか起きないんですよね。
言い方帰ると防げるし、人間の防御するひとつの形なんです。
なんでもう結論を言うと、その人の環境が変わるか、自分が変わらないと、身体も変わりません。
限りなくポジティブにいうと
心→身体なんだから、逆に身体→心って具合に良くならないかな?って考えていた時期もありましたが
厳密に言うと
ストレス源→心病む→身体緊張なので。
身体改善→心少し余裕できる→ストレス源と戦う。となればもう大成功なんですが
そうなってもらえるには信頼関係がしっかりと成り立ち
さらには身体、真皮、脳へビシッと手が届き。ついでに腸や内臓系へのアプローチもあればなお良く。
これだけでも、行える施術者がかなり少数派になるのに
さらに人生経験も豊富で、そんな疲労困憊の人へ届く言葉を発せられるかどうか・・・。
うーん難易度が上がりまくりです。
それに何となくここまで書いたものの、結局はそうなって病んでしまった人の場合
仮に他人の手助けで問題が解消されても、本人が変わらなければ形を変えて同じような問題が降りかかるだけな気もします。
本当に自分次第なんですけどね
疲れたからサボったり、投げ出したり、逃げたりするのは、時にはとっても良い事だけど
結局は腰を据えて苦手な事と向き合っていかないといけない場面って人生きちゃうんでしょうね。試練。
だからこそ、少し余裕のある時はきちんと日の光を浴びて
少しの運動と、おいしくて身体に良い食事。毎日ちょっとずつだけでたっぷりと水を飲むこと。
気のおける友人や、恋人、家族と仲良くする事とか
本当に当たり前の普通の事を、きちんとやるのって難しくなっている世の中。
悪い人は自分じゃなくて、まわりの人まで悪くしちゃうから。そうはならないように
または、人にやさしくしても、自分の事は二の次にしちゃう人。
仏教の考え方のひとつにですね、自分の身体も仏様から貸してもらっている大切な身体なので
他人にやさいしく配慮できるのは素晴らしい事だけど
自己犠牲になったり、自分の事は我慢すればとか、後回しにしたらなんて考えじゃ
敬意が足りませんよ。自分の身体は自分だけのものじゃないんですよ。と説く話があります。
そしてこの中に、先祖を大切にしましょう。って話も入ってくるんですよね。
まぁ墓参りとか大切ですよね。
だけど先祖供養はすげー大切だけど、身近な困っている事とはあんまり関係ない気がします。
それよりは自分を大切に。
東洋医学の最近好きな言葉で
「情が過ぎると毒となる」って言葉があります。でも好きな人とか情かけたくなるしむずいですね。
なんかちらかった、よくわかんない内容ですいません。
江口