整体、マッサージ、医療従事者等を含む業界について

 

将棋の感想戦っていいよね。

 

我々の業界に足りてない事のひとつだと思う。

 

その理由の前に自己紹介的に言うと。

 

 

僕は整形外科から始まり整骨院、整体、マッサージ、カイロプラクティック系、スポーツトレーナーとして海外に行ってた事もあります。

 

病院からはじまっているので、キャリアのわりには診た患者さん、お客さんの数は

 

40000人を超えるんだ。

 

 

はー、まだまだ未熟なので、虚勢をはって自分を大きく見せる文章を久々に書いちゃったけど話を戻しますわ。

(消そうと思ったけど、戒めとしてそのままにしとくw)

 

 

個人的に思う、業界の問題点。

それは、すぐにお山の大将になってしまう。そして、何故かセラピスト系は国家資格者でもそうじゃない人も、癖のある人間が多いw自分も含めてね。

 

そこで問題の解決策として、将棋の感想戦みたいな事の導入を提案したいんよね。

 

 

 

ひたすら色んな先生が集まって、患者役と先生役になって

症状が改善する、パフォーマンスが上がる。なんてクソ簡単な事でお山の大将になるんじゃない。

そして、それをありがたがって受け取る新米セラピストも長期的にみると悪い影響を与える。

 

それなら、将棋の感想戦みたいに

施術して、症状が改善する、パフォーマンスが上がる。その上でギャラリーが苦言を呈する。

効果を出す事に満足しないように、客観的な意見を色々な角度で取り入れる。

 

これが大事だと思うねん。

理由もあってな、一つは言わずもかな施術力(見せ方パフォーマンスも含む)の向上。

 

もう一つは、周りにイエスマンばかりを置かず。気の合う人間ばかりが集まらなくするため。

初心を忘れず、驕らず、謙虚に、世間を知る。ニーズを知る。

 

そしてその機会を通して、世代、キャリアを超えた交流が出来れば最高だと思う。

 

なんせ普通のセミナー系だと、どうしても講師の先生を元にピラミッド型が出来上がる。

気の合う人間が集まってしまう。

 

それはそれで、良いとは思うけど、個人的には馴れ合いがものすごく嫌いな一匹狼タイプなので、単純に気持ち悪い、引くわーってなってしまう。

自分が少数派だとは自覚しているし、どっちが正しいなんて話でもないんだけどね。

 

 

 

 

 

整骨院業界なんて、その最たるもので

 

高卒後、専門学校を卒業してそのまま数年働いて開業し、環境によってはそこそこ成功するというか食っていけたりもする。

 

僕が整骨院業界で揉まれている時に、二世代くらい上の先生方は低周波かけるだけで具体的な手技なしで、家を建ててヨットも買ったんや!って先生もおったくらいでした。

 

 

要するに、誤解を恐れずに言うと

規模を縮小したら、身の丈に合わせたら、自立して生活していくのって案外簡単なんだよね。この世界。

 

 

ここに異論があるセラピストや先生は、さっさと開業したらいい。何とかなるから。

やれば楽になるよ、患者さん。自分の責任において仕事した方が上達も何十倍も速くなる。

 

商売がよっぽど下手か、見せ方。パフォーマンスが極端に下手じゃなければ、何とかなるよ。

 

(結果を出す事は案外簡単。結果をずっと出し続ける事がむずい。そしてその中で自分の代わりとなる人を育てるのがむずい。人を育てるより、システム作るほうが簡単。)

 

そのくらい、この業界というか、身体に関する事の知識の世間への浸透率が低い。引くわ、ほんま。

 

肩凝りって何?とか、痛みってなんで?とかきちんと小学生に理解できるような、簡単な言葉で話せますか?

 

接骨院は独立開業(起業)が簡単なぶん、初期投資も低周波治療器をリースやうまい事やらんとあんがい高くなっから。そこだけ注意。

 

あとは定期的な人材の確保、人件費っちゅーよりは求人費やな。そこくらい、問題は。

続けることにおいて。

整体屋さん系でも、色を出して回転する流れを作れば何とかなるやろ。

 

 

話を進めるけどね、短絡的に商売が続けられるって事で満足したくない。

感謝はめっちゃするけどね。満足はしたくない。

 

 

本当はこの業界の大きな問題点として、困った時にどういう医療機関に足を運べばいいのかわかりずらい事。

 

例えば最近、高齢の人の足の変形を改善させんの好きなんだけど

病院でわけのわからん説明されてたり、高いだけで効果が乏しいい時代遅れの足底坂を買わされようとしたり。

 

足しか見ないで靴をオーダーメイドで作ろうとしたり。ろくなことはない。

 

ハッピーな事が大事だけど、嫌われても、疎まれても、フラットに耳に痛い言葉を吐きたいと思ってます。パンクスだから。

 

性格の根っこが反体制なんだから、これはもうしゃーない。

 

 

 

結果を出せる事に満足せず

 

より難しい症例を改善させる、そんな小さな世界に身を置かず

 

何かを開拓したいですよな

 

 

 

本当に素晴らしい先生がたくさんおったら、困っている患者さんはおらんくなる。

 

はたしてそうでしょうか?

 

上の方で毒を吐いたけどね、クソみたいな先生もいっぱいおるけど

 

良い先生もいっぱいおるよね。

 

例えば自分はマメさがないから、この記事を書いたりしても見やすく整理整頓してテーマ別にしている同業者の先生とか、本当に素晴らしいなと尊敬し、反省もする。

 

 

 

 

しょぼい先生と、良い先生の割合ほど、世間で困っている人の数。あるいは業界としての需要。が減ってない。

 

本当はもっと減るべきじゃないのか?そこ問題じゃね?って思うんだよね。

 

 

考察できる点は2つ。

 

1つは、知識のバージョンアップと、それの整理整頓ができていない。

上で書いたような横のネットワークや、日本の整形外科の遅れなどからくる情報の古さ。浸透率が高い医療機関やテレビ、雑誌本などで言うてる事が古い。

だからバージョンアップした知識の共有が必要。

炎症が起きている、内科的な疾患がある、神経症状などなど。それとは別に、

いわゆる未病に含まれる不定愁訴、またはそこからくる痛みしびれ。

 

 

質問に対し、正しい答えを提案する。

 

その前にまず見解を一致させなきゃ本当はあかんよね。お山の大将になって自分の好きな理論で応えるんじゃなくて、西洋医学的にいこうぜ。そこは。

どこの先生に聞いても質問に対する答えがある程度一致する。ってのが、業界がある程度成熟している目安になるんじゃないかな?

 

そこを個人個人で好き勝手やっているから、困っている人が減らない。

 

 

もう1つは、原因が結局のところ生活および社会にある。

もうこれにつきるんやないかな?

 

そんなね、姿勢がどうとかね。歪みがとかね。運動不足がね、とかさーきりないし!

てか、そこじゃねーし!

環境、日々の結果が「肩こり、腰痛」 なら環境を変えるか、自分が変わるか。

 

じゃあね、じゃあね。わかりやすく「運動不足」を例に話してみるね。

 

運動不足って事は、運動してれば健康って事でしょ?

理由はとりあえず、血流改善や日光浴からくる良い効果、ストレス解消、さらにウォーミングアップに、ストレッチ等のクールダウン。

そこまでしっかりやれば、確かにかなりいいんじゃない?とは思うよ。運動好きな人で、運動が体質にあってる人って前提だけどね。

 

でもさ原因はそこじゃなくね?自分が選んだ生活じゃない?

運動したらよくなるってわかっている人でも、故障もあるし、マラソンみたいな繰り返される負荷で細かな身体のアンバランスさが明確になって、フルマラソン走れる筋力、体力はあるけど、20キロ超えると右の股関節が痛くなるとかね。

 

 

そもそもの、そもそもさ

運動好きな人で運動したら健康になれる人が、出来ない理由があるわけじゃん。

時間だったりすると、仕事の忙しさ。子育て。などなど色々あげられるし。

 

時間だけじゃなくて、もっと根本的に考えるとさ

運動する時間が必要なくらい、日常生活に運動が取り入れられてない。って事が問題でしょ?

そんな普段の生活が問題なのよ。ってなると社会とか、環境、仕事の仕方とか

そもそもどういう発展をしてきたのか?とかね。

 

今まさに社会がだんだん破たんしてきているよね。

 

保育園問題ひとつとっても、渦中のお母さんがおったら身体や健康に重きを置くのって難しいよね。

僕も三児の父で、ママが置いて子供とパパだけでお出かけして同じようなパパさんにあった事ほとんどないしね。

てかイクメンとかひどい言葉だよね。育児しないのが前提になってるから、育児するって当たり前の現状に名前がつくとか異常だよ。本当は。イクメンの前に父親やん。って思いますわ。

 

 

さて話を戻すと、結局今の生活の中で不調がサインとして出てきているんだから

これはもうしゃーない。

生活を、ライフスタイルを見直すしかないやん。でも、それが無理なら

自分を変えるしかない。

 

さて自分をどう変えるのか?ここで多いのが、自分に何かを加算してバージョンアップさせようとする考え。

って事は一生ものだよ、いけんの?例えばランニングして、改善させるのは素晴らしいけど、ここっから一生ランニングするなら、結局ライフスタイルを変えてるやん。

 

それなら時間がなくなる方向より、仕事を減らすとか時間をつくる方に考えたほうが絶対いいよね。

できないってのは、勘違いだって。やればできるし、自分を幸せにせんといけんから、そんならどうせ頑張るなら時間が無くなるより、時間が増える方向の方が、まだ見ぬトラブルが起きても対処できるでしょ?

 

 

それに現実的なのは、結局プラスを増やす方より、マイナスを減らす方だと思うんだよね。

ワーカホリックになっちゃうよ、手段と目的があべこべになっちゃう。

 

お金を稼ぐのは、お金を使うためだよ。

稼ぐ方に必死になるだけじゃバランス悪いしね、お金の素敵な使い方も社会経験を通して学ばないと人生が豊かになるのはそこのバランスだと、色んな人と話して思います。

 

 

稼ぐにしても使うにしても、その行為が消費にならずに、成長できるセンスがいる。残酷な話だけど。

 

その結果に、不具合が麻痺しているんじゃなくて野生動物みたいに敏感なのに、不具合がない身体が待っているんじゃない?マジで。

 

豊かな精神と身体を手に入れて、精神的な自立の上で共存した社会。環境。

その前提があればいろんな芸術も発展するし、平和な世界に手が届くと思うんだよね。